About Me

イギリスから帰国した日本人大学生が設立。タンザニアとケニアへの訪問で学んだ事をもとに日本と東アフリカをつなぐ活動をする学生団体。共通の分野は開発であるが、細かいジャンルは経済、教育から文化までそれぞれ。今現在タンザニアの小さな村の幼稚園設立プロジェクトに携わっている。メンバー募集中。
Japan East Africa Network is a student organization that has been established for people around the world to be able to get to know east African countries. Each of the members have begun to do his/her own research on their unique topics of local Eastern African people's everyday life.
Japanese website
English website
Details of projects that we have been supporting

Sunday, 27 November 2011

12月11日 Experience African Culture!

"Experience African Culture" ~学生の視点から~

アフリカに行きたい人。
アフリカ文化を知りたい人。
タンザニアに渡航した学生とともに、まずは一度アフリカの文化を体験しませんか。
JEANは一人でも多くの人に東アフリカのありのままの姿を知ってもらうために、日本と東アフリカをつなぐ活動をしている学生団体です。
現在、JEANでは新規メンバーを募集しています。この機会を通して、JEANの説明会とさせていただきたいと思います。

東アフリカに興味がある学生の方、私たちと一緒にアフリカに足を踏み出して見ませんか?
 また、お越しいただけない方も随時メンバーを募集していますので、下記メールアドレスにご連絡ください。
日時:2011年12月11日
時間:15時~18時 途中退出あり

場所:ワールドカフェ&バー INSTEP LIGHT

       (下北沢駅南口徒歩2分)
        〒155-0031 
         東京都世田谷区北沢2-9-1 大新ビル5F
         03-6407-0067


参加希望の方は
japan.eastafrica.
network@gmail.com
まで、大学名、学年、名前を記入の上、ご連絡ください。

<JEAN Facebook>

http://www.facebook.com/pages/JapanEastAfricaNetwork-JEAN/206904189387444?sk=wall
<JEAN Twitter>
@JapanEastAfrica

Sunday, 1 May 2011

タンザニア: サファリ in ンゴロンゴロ保全地域

朝6時出発という約束だったが
実際ホテルを出発したのは7時。1時間も遅れてしまった。
いや、決して寝坊したわけではない。ただ寝ぼけていたから行動の早さがいつもの1/10だっただけだ。
ドライバーに怒られた。「too much pore pore」
pore pore=ゆっくり、ゆっくり(スワヒリ語)
ま、君たち遅いよ、ってね。もちろん半分ジョーク半分マジで。

そんな愉快なドライバーと優しすぎるジェームズとともに、世界遺産ンゴロンゴロ保全地域へ。
またまたマサイ族のマーケットを通り過ぎ、

そしてマサイ族の集落も発見。
いや、それがびっくりすることに
ンゴロンゴロへ行く途中に見つけたマサイ族の集落の一つについてジェームズが教えてくれたのだが、

そのマサイ族がすごい。
ジェームズによると
「父親は50歳、そして彼は20人妻がいて、65人子どもがいるんだ。彼は雌牛を約300頭、羊を約236頭持っているんだ。彼は自分の村と彼の子どもたちのための学校も持っていて7クラス、先生が6人いるんだ。」そうです。笑
うん。日本じゃ考えられない異文化に触れた。 


その後、約1時間で到着。

サファリを始める前に少しンゴロンゴロ保全地域について簡単な紹介をしておこう。
ンゴロンゴロ保全地域の大部分はクレーターでできており、それは2~3000年前に起こった火山活動によりうまれたカルデラである。
カルデラとは火山の中心部または周辺にある円形の著しく広い凹みで、噴火後に起こる火山中央部の陥没によってできるものだ。
このクレーターには東アフリカで見られるほとんどの動物が生息しているらしく、
サイ、ライオン、ヒョウ、ゾウ、バッファローなどの大型動物も見る事ができる。

では、準備ができたところで、ンゴロンゴロ保全地域に突入!

エントランスの建物をくぐると目の前にヒヒの群れが。
車で近づいてもなかなか動かない。根性あるな、こいつら。
堂々としたヒヒの群れの肝っ玉に感心しつつ
移動すること約30分、ンゴロンゴロクレーターを一望できる絶景スポットに到着。
言葉がでない。
いや、言葉にできない。
あなたに会えて本当に良かった。
これこそが自然の神秘なのかと感動した。
自然の神秘をバックに記念撮影をしたあと、クレーターに突入。

いるいる!めっちゃいる!! 動物が!!!

シマウマ!

バッファロー!!

ゾウ!!!

ダチョウ!!!!

このほかにもヌーやカバ、フラミンゴなども見る事ができた。
タランギーレとは違い、平地で視界がよく、動物も見つけやすいし
なにより車の揺れが少ないし、ハエも少ない。

ンゴロンゴロ保全地域には動物以外にもう一つ興味深い事実がある。
それはタンザニアにある保全地域で唯一動物と人間が共存しているということだ。



今でもマサイ族が動物と一緒に生活をしている。

ジェームズ談によると、キリマンジャロ周辺で生活をしているマサイ族の一部は、
日々急激に発展していく国や、変化していく文化、文明に順応しようとせず、伝統的な彼らの生活を守っているらしい。
昔からの伝統を今でも守りながら彼らは生活をしているのかと感心していると
クレーター内にあるトイレに行ったときに2人組のマサイの若者に
「一緒に写真撮る?$2だけど」
「マサイのこん棒いる?お土産に」
などとお土産を買わされそうになった。
常時こん棒などを携帯しているので
迫力があって怖かった。
マサイ族は少し有名になりすぎたのか、
タンザニア、そしてのちに訪れたケニアでも観光名物となっているようだ。
そして彼らもそれを知っている。

お昼時、ここでも注意しないと行けないのがお弁当。
タランギーレでは猿が天敵だったが、ンゴロンゴロでは鳶だ。

カバ
カバが棲息する湖を目の前にして、暖かい日差しを浴びながらおいしくお弁当をいただいていると
空から鳶が襲ってくる。
空に鳶、となりにポンダポンダ。
空を見上げてお弁当を食べるわけにはいかないから、
鳶はとても厄介。
今回はジェームズがマフィンをとられていた。
すぐに車内に避難。はらはらしながらも腹はきっちり満たした。

午後もサファリは続く。
個人的にライオンがすごく見たかった。
というのも、サファリ=ライオンキング、というとても勝手だが可愛くて夢のあるイメージを持っていたからだ。
しかしやはり午後になると気温が上がる、そしていい具合にお腹も満たされていると、ね、ほら。気持ちがいいんだよね、すっごく。
嫌な予感。振り返ると・・・
あっ!! 皆寝てるし! またかよっ!!!

しかし僕は寝ませんよ。
まだまだたくさん動物出てきますよ。

ARE YOU READY?

ジャッカル!

ハイエナ!!

イノシシ!!! 奥にフラミンゴの大群

クロサイ!!!! は絶滅危惧種。

ほんでもって
でました!
ライオン!!!!!!
さすがにライオンの登場にみんなのテンションは本日最高潮。
車のすぐ横をのしのし歩いていった。
サファリが最も楽しめる時期は草食動物が群れをなして引っ越しをする11月~12月らしい。
今回ここを訪れたのは4月でこの時期は滅多にライオンの狩りは見られないという事だった。
しかし今回見つけたライオン、2頭ともなんか
百獣の王の威厳がないというか
ばてているのか
だらしなさ過ぎる・・・。

タランギーレでは見つけられなかった
大型動物や、肉食動物がンゴロンゴロにごろごろいた。
タランギーレでも
ンゴロンゴロでも
ジェームズとドライバーが長時間休み無く動物を探し続けてくれて、
たくさんの野生動物を、私達が想像していた「アフリカ」を。
存分に楽しむ事ができた。
しかし本物のサファリは思った以上にタフだった。
たった2日間だったからなのか。
一般のサファリツアーは通常8日間から、少なくとも3日間~5日間の日程で組まれている理由がよくわかった。
すごく楽しかった。
何もかもが野生だった。
クレーターもそこにいる動物も。
人間が意図して作り上げたものではない
だからこそその美しさがすばらしかった。
オフシーズンに行くとなかなか動物が見つからないかもしれないが、
11月、12月を狙っていけば
きっとたくさんの動物、ワイルドライフが見られるはず。


今回タンザニアでの滞在期間10日間。
ずっと私達のお世話をしてくれたのがジェームズ。
ほかの記事に彼の事を簡単に紹介しているので、それを参照してほしい(ジェームズ編)のだが、この記事には今回のサファリでどれくらい彼が活躍したかを読者のみなさんに是非知っていただきたい。
彼は彼のプロジェクト(詳細はムイカ編)のための資金が必要で、
これからツアー会社を設立したいといっている。
具体的な旅先はタンザニアの首都ダルエスサラーム探索、キリマンジャロ登山、国立公園へのサファリツアー、ザンジバル島などだ。
実際今回の私達の旅の計画もジェームズがたててくれ、それにかかる費用も綿密に紙に書いて説明してくれた。もちろんできるだけ「安く」。
サファリにおいては、車、ドライバー、お弁当、そして宿泊場所などを
比較的低価格て手配してくれた。
彼はタンザニアの文化、そして動物にも精通しているので
旅のガイドとしてもとても活躍してくれた。
彼のこういったツアーなどを提供する会社を設立したいという動機は
タンザニアの小さな町の教育を受けられなかった人たち、そのために仕事が見つからない人たちのために役に立ちたいというものだ。
ジェームズのタンザニアの魅力を海外の人にも知ってほしい、そして同時に現地の若者たちの役に立ちたい、という思いに私達は感銘を受けた。

そして少しでも彼のお手伝いをしたいと思った。
このブログを通して、読者の方々にアフリカの魅力を少しでも知ってもらいたい。

そしてアフリカに対するネガティブなイメージを払拭し、少しでもいいから興味をもっていただきたい。



Tuesday, 26 April 2011

タンザニア: サファリ in タランギーレ国立公園


蒸し暑かったダルに比べ、キリマンジャロの麓はとても涼しい。むしろ寒い。シャワーが冷たい。あんなにも気合いを入れてシャワーを浴びたのは生まれて初めてだ。そんな肌寒い朝早くに、ムイカのホステルを出発、タランギーレ国立公園へ向かった。その道中、うれしい事にキリマンジャロが顔を出していた。思わずさわやかに言ってしまった。
「おはよう!!キリマンジャロ!!」
と、心の中で。

アフリカ大陸最高峰、5895m。


キリマンジャロに来る前に、偶然ザンジバルの空港で出会った日本人の旅人から
「この時期はキリマンジャロの山頂までは見れないよ」と聞いていたので、
感動が大きかった。
さすがに眠気も冷めた。
忘れずにキリマンジャロをバックに記念撮影をし、国立公園へ再出発。
道中にはキリマンジャロのほかに、マサイ族の集落や、マーケットなども発見。
ドライバーやジェームズが丁寧に説明をしてくれた。しばらく窓越しにキリマンジャロを眺めつつ、陽気なドライバーのジョークに笑いながら、
ついにタランギーレ国立公園に到着。
エントランスにたくさん動物の骨が並んでいた。生きてる動物見る前に骨ってね。なんかね。

エントランスからしばらく車を走らせると、これぞサファリ、これぞ「AFRICA」。
見渡す限り草原、時々バオバブ、たまーに、遠くに象の群れ。
タランギーレは世界遺産に登録されているセレンゲティ国立公園や、ンゴロンゴロ保全地域に比べると知名度はそんなに高くないが、別称「バオバブ公園」と呼ばれているように、バオバブが多い。公園の中でもよく幹がえぐられたバオバブをよく目にしたが、それは象がバオバブに含まれる水分を好むためらしい。(大きいものには10トンもの水分が含まれると言われている)

余談だが、バオバブはアフリカの人々に昔から親しまれていたらしく、バオバブの実をお菓子代わりに食べたり(ジェームズとドライバーも大好き)、その種から油を抽出したりするらしい。せっかくだからバオバブの実を食べてみたが、舌触りはなんかぱっさぱさのラムネみたいで、味は・・・あったような、なかったような。え、気になる? なら食べてみてください、アフリカで。

タランギーレ国立公園、さすが本物のサファリ。車が踊る踊る。私達だけじゃなくきっと車もサファリが楽しみで仕方がなかったんだろう、踊る、踊る。車から振り落とされないように必死に踏ん張っていた。気を抜くと頭をぶつけてしまうから。
動物なんてそっちのけでとにかく車にしがみつくのに必死だった時、
ドライバーが叫んだ・・・。
「あそこに象がいる!!」
その瞬間全員が立ち上がり車の天井から遠くを見渡すと、茶色い点がぽつぽつ。
遠っっっ!! ドライバーよく見つけたね。上の写真、10倍ズーム。そうとう遠いのがわかるでしょ?
もっと近づけるということで、さらに接近。
もちろん車は相変わらずご機嫌で、もちろんその中で私達は激しく揺られ続けた。
あんなにも遠くにいた象の群れが、
えっ! こんな近くに!

迫力満点というか、なんというか。
ゆーーっくり動く象の群れを見ていたら
なんだか心が穏やかになった。いや、穏やかなのはもともとなんだが、
さらにね、穏やかさが増したよね。

車に弄ばれ、動物に癒され、数時間、やっとお昼時。お弁当の時間。といってもおにぎりや卵焼きはありません。
お弁当のいい匂いに腹の虫も鳴く。
しかしお腹を空かせていたのは私達だけではなかった。
弁当ハンター「猿」。
こいつらがまたやっかい。前から後ろからお弁当を狙ってくる。
結局近くで食べていたフランス人のおじさまがバナナとられてた。
めっちゃキレてた。
それにしても、猿にバナナとられるって笑 真っ先に警戒するよね、バナナは。
ベタにいったね、この猿も。

お腹も満たされたところで、出発。
でこぼこ道をまたひたすら。
残念ながら午後は動物をなかなか見つける事ができなかった。
もう見れないかな・・・、と諦めかけていたその時!!!!
ふと後ろを振り向くと・・・


え!! みんな寝てるじゃないか!
連日のハードスケジュールと車の揺れとの戦いにみんな力つきたみたい。
僕はというと、ジェームズとドライバーの二人が必死に動物を探してくれていたので必死に睡魔と戦っていた。
でも起きていたから見る事ができた動物も。ほら
ウォーターバック

ヒヒ

インパラ

あとは皆で見つけたまつ毛がキュートなキリンさん。
でも、ゾウさんの方がもーーっと好きです。
ってね。

初めてのサファリ。壮大な景色、野生動物の群れ、富○サファリパークとはきっと比べものにならない。ただ車に乗っているだけの数時間。しかしそれも実はかなりのハードワーク。まだまだ1日目にして、サファリ、そしてアフリカ人のタフさを身を以て思い知らされた。

夜はアルーシャにあるホステルに宿泊。
始めは不思議に思っていた蚊帳にもなれ、
むしろある方がほっとするようになっていた。
夕食をホステルのレストランでとり、シャワーを浴び、まもなく就寝。
明日も早起きだ。

明日は遥か昔の火山活動でできたクレーターのある、世界遺産、ンゴロンゴロ保全地域へ行ってQ。
なんつって。

Sunday, 24 April 2011

タンザニアトリップ ムイカ編


ザンジバルを発ち、次に向かった先はキリマンジャロ。言わずと知れたアフリカ最高峰の山キリマンジャロの周辺のアルーシャ、モシといった街には、サファリ観光客、キリマンジャロ観光客であふれ返していました。キリマンジャロ周辺は高地にあるため、空気が乾燥し朝晩も肌寒くなる程です。湿気が多く一日中蒸し暑かった、ダルエスサラーム、ザンジバルとは対照的に非常に過ごしやすい気候です。初日は、ジェームズに連れられてムイカという小さな村に向かいました。ムイカはモシから車で一二時間くらいの距離にある小さな村で、ジェームズが所属する教会コミュニティーやジェームズの教育プロジェクトの拠点も構えてあります。



初日はジェームズの所属する教会のホステルに泊めてもらいました。この教会コミュニティーはムイカの地元の人々が所属するもので、教会はドイツの教会からの寄付で設立された、とのことでした。ムイカでは電気が止まる事が日常茶飯事であるため、自家発電機能を備えた施設が多いのですが、このホステルではソーラーパネルを利用した自家発電システムを備え付けていました。


教会のホステルに着いた後向かった先は、地元の「ママ」達の家です。タンザニアでは、婦人達のことを親しみを込めて「ママ」と呼びます。そのママ達の家で夕飯をごちそうさせて頂けることになったのです。豚肉の煮込みから焼いたバナナ、焼き豆などタンザニアの農村の典型的な料理が僕たちを待っていました。キリマンジャロで有名なだけにコーヒーもとてもおいしかったです。この「ママ」達は普段ブティキ、カンガと呼ばれる生地から、オーダーメードの服を作って売っています。実際にこのママ達が作ってくれたブティキやカンガといった生地は、常夏のタンザニアの天気でも大変過ごしやすいよう作られています。ダルエスサラームなどの気候は夏の日本と似ている(湿気が多く、気温が高い)ので、日本で着るにも適しているようです。また、ブティキとかのデザインもシンプルなデザインから凝ったデザインまであり、日本で売っていてもかわいらしいなと思えるようなデザインでした。さらにこのママ達の活動で特徴的であったのは、孤児支援に力を入れている点です。この活動で得られた収益は、地元のコミュニティーの孤児達の生活支援にあてられているとのことでした。生活に必要最低限以上の収益は慈善活動にあてられるというこの仕組みは、NGOや社会的企業でよく見られますが、このママ達の活動のように、NGO的な活動をしている団体はタンザニアには多くありました。停電であったため、ろうそくをともしながら食事を楽しみました。ママ達の家をでると、空には一面に天の川が広がっていました。東京やロンドンはもちろん、ダルエスサラーム、ナイロビですら見えない程の満点の星空でした。







その後は、地元の大学に通う学生の家を訪問し教育に関するインタビューをしました。学生組合の代表をやっている方で、年齢も30代前半で奥さんもいました。彼と奥さんはともに教育を勉強されていたということでした。以下に、インタビューで聞いた事をまとめてみたいと思います。

主要な産業がないタンザニアでは、教育や医療に携わる仕事が最も安定的であると一般に見られている。
医療や教育の学部を選ぶ学生に対しては、成績に応じて奨学金が与えられる。
数年前より、タンザニアでは初等教育の無料化が実施された。(現実には無料化ではない、との批判も多いが)その結果、生徒の数に対して教師の数が少なくなり、現在教師不足が懸念されている。
教材不足が問題なっている。インターネット環境はもちろん図書館の本や教科書と言った教材が不足しているため、十分な初等教育がなされていない。
インターネットの普及は拡大しているが、未だインターネットが教育に用いられていない理由:①コストが高い②インターネットリテラシーが低い
大学院進学が難しい。大半の学生がローンを組んで学費(約$1000)を払うが、ローンを返済しきった後でしか、大学院進学はできないという規制がある。そのため、大学院に行きたい学生は数年働く必要がある。この過程の場合は、夫婦共に教師資格をもつため、片方が教師として働く傍ら片方が大学院へ行くという計画を立てているそうです。

James宅でホームステイをさせて頂きました。
タンザニアの農村では、核家族以上に親戚も一緒になって住んでいるようです。(※補足、マサイの村には、旦那一人、奥さん21人、子ども63人というコミュニティーもありました。中には学校もありあらゆる施設があるとのことです。このように、田舎では家族をベースにしたコミュニティーが多く存在しているようでした。それにしてもこのマサイのお父さんは大分頑張りましたね。)

ジェームズのお父さんやジェームズのおじさんをはじめ、奥さん、いとこ等とも会ってきました。おじさんは、現役時代は電機メーカーフィリップスのナイロビ支店で働いていたエンジニアということで、非常に博識でタンザニア政治、経済、社会保障についてアツく語ってくれました。夜には、ジェームズの教育プロジェクトについて議論を交わしました。ジェームズのプロジェクトの一つは、金銭的理由で中高等教育を受けられない子ども達を対象とした職業訓練学校です。タンザニアには、金銭的理由で初等教育を受けた後に中高等教育課程にすすむことのできない子どもが沢山います。そうした学生に対して職業訓練(裁縫やPCリテラシー、大工等、英語)の機会を与え、職業選択の機会を増やし、また高等教育に進学できる学生を増やす事が目的です。もう一つは、初等教育以前の幼児教育です。幼稚園を設立し、地域の子ども達が初等教育でドロップアウトしないよう早い段階から教育を図る事が目的です。基本的にこれらのプロジェクトは非営利事業で、運営費は慈善団体からの現在のところアメリカの教会より5年分の支援を受けているとのことでした。このプロジェクトに対し、JEANとしても金銭的支援はできないながらもネット上のサイト運営等でお手伝いしていこうと考えています。




翌日、実際に職業訓練学校の様子を見学させて頂きました。下の写真は、裁縫を学ぶ女の子達です。歓迎の歌を歌ってくれている様子です。



以下の写真は、木工技術を学んでいる男の子達の様子です。赤い服を着て教えているのがジェームズです。






また、パソコンやタイプライターの学んでいる学生たちもいました。この地域では停電も頻繁に起こるので、パソコンが使えないときの為にタイプライターでタイピングの勉強をしているようです。インターネットが通っていないため、パワーポイントやエクセル、ワードの練習をしていました。



このように、タンザニアの農村地域では、コミュニティーが主体となって地域の学生に職業訓練を与えるという試みが多くなされていました。海外からの援助を資金とした非営利事業が多い一方で、海外の慈善団体とのアクセスが少ないという現状もありました。そうした課題を克服する為にJEANも、インターネットを用いて、こうした非営利事業の広報のお手伝いができたら良いなと思っています。最後の写真は、ママ達と、ママ達に作ってもらったブティキの服を着たメンバーの写真です。ママたちが腰に巻いているのがカンガです。

Sunday, 6 March 2011

UN HABITAT The State of African City 1

UN HABITAT The State of African City  UN HABITAT The State of African City(英語サイトPDFダウンロード可能)上記写真はwikipediaより Kibera slum Nairobi, Kenya



アフリカの都市レポート(英語)で報告されている東アフリカの都市政策の現状について、数回に分けて日本語で紹介したいと思います。

第一部は、東アフリカの都市化

1 人口と都市化

2010年現在、アフリカ全土の都市人口の割合は40%であるのに対し、東アフリカの都市の人口の占める割合は、22.6%である。また、アフリカ全土の都市人口の増加率は年3.3%であるのに対し、世界の都市人口の増加率は2.5%である。2005年から2010年の都市の増加率をアフリカの地域別に見ると、中央アフリカで4.13%,次いで西アフリカが4.05%、東アフリカで3.86%、南アフリカ4.45%、南アフリカ%、1.88%となっている。南アフリカ、北アフリカに関しては、世界の都市人口増加率と比べても低い水準になっている。東アフリカの都市人口は今後10年で3800万人増加し、計1億1600万人になると推定されている。また、2030年までには、三人に一人の人々が都市に住むと推計されている。急激な都市化を受けて、空気汚染などの問題も生じて来ている。首都圏の人口増加を受け、無計画で非効率的な都市構造になりつつあり、第二の都市に人口分散させるなどの取り組みが求められる。元々一極集中型の構造は植民地時代から受け継いだものであるが、もはやそれを言い訳にできない時代になっているのではないか。

2 都市化の問題と貧困

水道
現在アフリカの未整備の都市部に住む40−60%の人が、十分な上水道と下水道にアクセスが無い状態と言われている。上水道に関して、多くの都市では貧困層が路上の業者から質の劣る水を一般の水道水よりも高い値段で購入している状況である。一方下水道に関しては上水道とはまた状況が異なる。アジスアベバ、アスマラ、ダルエスサラーム、ナイロビ、カンパラといった比較的規模の大きな都市のスラムでは顕著な問題となっている。特にナイロビ、カンパラにおいては、「フライイング・トイレ」と呼ばれる、汚物の入ったビニール袋がスラムに積み上げられている状況である。ブジュンブラ(ブルンジ)、キガリ(ルワンダ)あるいはインド洋に浮かぶモーリシャスといった、と言った比較的規模の小さい都市に関して言えば、行政が需要に対して対応しきれている。マダガスカルの首都アンタナナリボは規模が大きい都市であるにも関わらず、総人口85%にあたる190万人の人々が上水道にアクセスでき、70%の人々が、下水道にアクセスできている。

エネルギー
大多数の東アフリカの都市は、木材、木炭、液化石油ガスあるいは、ケロシンが調理用の火力として使われている。木炭、木材の消却やスラムの風通しの悪さを受けて、気管系の病気にかかる人が増えている。これをうけて、タンザニア、ウガンダ、エチオピアなどでは、バイオテクノロジーの使用を模索している。しかし、バイオテクノロジー使用を拡大するには、新鮮な水を作物の生産拡大の必要性がでてきて、水不足に悩む国としては慎重な対応が求められる。


住居
都市部に点在する不法に住無人々に対して、不法滞在の強制立ち退きは今までよく取られていた対応であった。貧困層は発言権が無かったため、容易に立ち退きを強制する事ができた。しかし、強制立ち退きは貧困層のなけなしの資産を奪い行為であり、国際開発団体等からの反対を受け強制立ち退きは見直されつつある。現在では、現存するスラムの質の向上する事で対応を図ろうとしている。ナイロビやタンザニアではスラムの生活水準を高めるプログラムが組まれているが、中流階級層の住むエリアのインフラ向上へより力が注がれ、最も貧困層の住むスラムに関しての対応は各国遅れている。一方、モーリシャスとセイシェルは、東アフリカでも珍しいスラムの無い国として、国民は比較的高い生活水準を享受している。

to be continued

Naoya Saito

Friday, 4 March 2011

マダガスカル体験談 Part 2~教育編・フィハオナナ~



マダガスカルを訪問した際にフィハオナナという小さな村も訪問し、現地の小学校の校長先生にお話を伺いました。
校長先生との会話に出てきた、村の小学校が抱える問題をここで紹介させていただきます。

まず村の子どもたちの親は子どもたちを学校にできるだけ通わせたくないといいます。それは子どもたちを労働力として必要ということだけでなく、学費を含む学校への支払いが生活の負担になっているからです。

私達が今回訪問した小学校には、5歳から16歳の子どもが在学しています。経済的な問題に伴う、度重なる移動により、初等教育を修了できない子どもがいれば、家庭がようやく落ち着き、やっと初等教育を受けることができる16歳の生徒もいました。学校では数学、自然科学、フランス語、国語、環境、地理、歴史が必修科目で、生徒たちの親に選ばれた親が、先生として子どもに科目を教えているそうです。1990年までは教師にも資格が必要でしたが、今は必要ないそうです。そして先生の給料は政府からと親から支払わされるそうです。ただ教師の数が極端に少ないため、生徒一人一人に目が届かないという問題があります。生徒335人に対し教師が1人という現状を聞かされたときは驚きを隠せませんでした。なぜなら日本の学校ではこのようなことはありえないですし、UNESCOが指定しているのは教師1人に対して、生徒が40人以下というものです。これらを比べると、フィハオナナの小学校教育いかに大変なのかということがわかると思います。発展途上国の場合、首都や経済の中心となる大都市に人口が集まるため、地方にはなかなか人が集まらないので、先生の数も増えることがありません。今後はどのようにして地方での学校教育を改善するかを、教師を呼び込むためのインセンティブ、教授法、そしてどのようにして地域と学校を結びつけ、子どもたちを継続的に学校に通わせるか、という視点からも考える必要があります。


そして子どもたちの健康の保持も重要な要素の1つです。
健康な子どもは学校での成績もよいという研究結果も出ています。
フィハオナナの子どもたちは靴も履いていないし
着ている服も相当着古していました。
そしてトイレも下水が通っていないので
夏になると気温も上がり、衛生状況がとても悪くなります。
この時期には必ず体調を崩す人が増え、病気にかかる人も少なくはないということです。それにも関わらず、村に医者は1人、看護士が1人、事務員が1人という状況です。保健所の中も見せていただいたのですが、室内でさえ、砂埃が舞い、とても清潔とはいい難いものでした。しかし辺ぴな場所にある村に出向いて村の人たちの健康を守ろうとたくさんの医者が集まってくることはありません。地域の各家庭の水回り、保健所の設備の改善など、健康を促進、維持するためにはまだまだ改善すべきことがたくさんありました。



せっかく小学校を訪問したので
子どもたちと交流をしたかったのですが、
授業があってできなかったので、校長先生に子どもたちの将来の夢を聞いてみたところ、
一番多いのは学校の先生、そして次にパイロット、後は医者、芸能人などでした。

フィハオナナの村ではホームステイをさせていただきました。
夜になると電気が通ってないので
街灯もないし
家の中に電気もないので
家の部屋の中は本当に真っ暗で1cm先も見えない程で
少し怖かったです。笑
昼間はモーターで電力を起こしていました。
停電はしょっちゅうありましたが、現地の方々は
「あ、またか。」といった感じでなれていた様子でした。
日本人としてマダガスカルでの生活は不便なことが多かったですが、
それでいいと思っています。
現地には現地の人々の生活があり、文化があり、伝統があります。
その中で培われた彼らの価値観があります。
私達が私達自身の価値観で彼らのプロパティーに足を踏み入れることは決してしてはいけないことなのではないかと思います。
現地の人々の現地の文化、伝統、生活、を尊重し、その上で私達ができることを彼らと共に探し求めていくことが重要だなと思いました。



以上、
マダガスカル体験談でした。

Junki Nitta

マダガスカル体験談 Part 1~日記編・タナ~

2010年3月にJEANのメンバーのうち2名がマダガスカルへ訪問しました。
私達が実際にアフリカに足を踏み入れたのがこのマダガスカルでした。

ほんの少しマダガスカルという国をごくごく簡単にご紹介させていただきます。

マダガスカルは世界で4番目に大きい島で、島全体が6つの州から成るマダガスカル共和国となっていて、
公用語はマダガスカル語、フランス語、英語ですが、英語は周辺諸国との交流のために2007年に公用化されただけで実際英語を使用する、または理解する国民はほとんどいません。
国のGDPの57%がサービス業、26.4%が農業、16.6%が製造業ですが、
2009年1月から3月にかけて起こった、クーデターで、観光客が激減し、2008年のGDP成長率7.1%に対し2009年は-3.7%と低迷していました。しかし2011年のGDP成長率予想が2.8%なのでこれからの回復の兆しが見えてきたのではないかというところです。

さてさて話を戻して私達のマダガスカル訪問のお話をご紹介させていただきます。
関西空港発で約25時間かけてアンタナナリボ空港に到着しました。
ベルトコンベアの故障で荷物がでてくるまでに1時間、
入国審査で順番を抜かされて抜かされて40分、
ようやく外に出れました。
英語が通じないとやはり不便でした。



アンタナナリボ(以下 タナ)市内のホテルに到着してすぐに暇を持て余したボーイさん達が
荷物を運ぶ"お手伝い"をしてくれました。
チップ制度といいますか、マダガスカル滞在中に何度も遭遇しました。
一度駐車した車にどこからかおじさんがよってきて
「ここは駐車禁止だよ、俺が誘導してやるから」
っていって10mくらい先の別の場所にわざわざ移動させて
「あ、チップくれよ〜」とかですね、ま、いろいろと。

もちろん物乞いもたくさんいました。ホテルをでるとすぐに6人ほどの子どもがたくさんよってきます。
「matin, matin」と言って。
その時点でお金は渡しませんでした。
何度かその場しのぎの援助なんか自己満足に過ぎないと聞かされていたし
確かにそうかもしれないと思っていたからです。
しかし、その日その場での行動で、その子たちが1日でも生き延びていけるなら
それも仕方のないことなのではないかと、考えさせられました。
実際物乞いの数が減らないのは
それで生き延びていける、という現状があるだからなのでしょう。

次に衝撃を受けたのが大気汚染です。
タナ市内を1時間も歩くと鼻の中が真っ黒になるんじゃないかと思ってしまうくらい
自動車の排気ガスや、市場から漂う生臭さ、ゴミの臭いなど諸々が混ざっていて
とても素敵な臭いがしました。

日本では環境問題についていろいろ議論されていますが、
発展途上国では環境問題よりも先に自国の発展の方が重要で
なかなか環境問題には目を向けにくいのか、と感じました。



最後に、そして1番私が衝撃を受け、興味を持ったものが、教育です。
マダガスカル訪問中にずっとお世話をしていただいたのが
アンタナナリボ大学の教授でした。
彼に連れられ、アンタナナリボ大学へ訪問した際に
彼に大学の学費について尋ねました。
日本の私立大学の高額な学費を親に無理矢理払わせている身としては、とても興味がありました。
彼の答えは衝撃的でした。
国立大学の年間の学費は約5000円、
私立大学の年間の学費はその10倍の約50000円。
驚きました。安いですね、と言ったら、
それでも大学に来ない、来れない子がたくさんいるし、
進級できなかったり、家庭の事情とかで、途中で退学してしまう子たちもたくさんいるんだよ。
と寂しそうに答えてくれました。
日本の4年生制大学進学率は09年春時点で約5割で
2人に1人が4年生制大学へ進学しています。
しかしマダガスカルでは中等教育の段階で進学率が30%をきってしまっています。
なぜこういうことが起こるのか
なにが原因でそうなっているのか
どうすればこの状況を改善することができるのか
ということにとても興味がわき、
もともと教育問題に興味を持っていた私は、
これを機に発展途上国の教育問題について知りたくなりました。

(アンタナナリボ大学で現地の学生との交流)

発展途上国に直接足を踏み入れることで、
今まで見えなかったものを5感を駆使して体験し、
現地の方々と直接交流することによって
これからの自分たちにとても大きな刺激を得ることができました。
そして日本人が持つイメージの"アフリカ"ではなくて
もっとアフリカにもすばらしいところがたくさんあるということを
たくさんの人に、とくに日本の人々に知っていただきたい、と強く思いました。

Junki Nitta


references

Global Finace
http://www.gfmag.com/gdp-data-country-reports/228-madagascar-gdp-country-report.html#axzz1Ff61iKOd

大学・短期大学等の入学者数及び進学率の推移(文部科学省、学校基本調査より)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/03090201/003/002.pdf

東アフリカ経済統合インフラ整備が最重要課題

EAC experts devise measures to improve regional infrastructure Daily Monitor

東アフリカ共同体の専門家がタンザニアはダルエルサラームに結集し、周辺地域の北部・及び中部の回廊に関するアクションプランいついての話し合いが行われた。(地図wikipediaより)


(補足 東アフリカは現在ケニア、タンザニア、ウガンダ、ブルンジ、ルワンダの5カ国で経済統合が進んでいる。現在は関税同盟段階である。関税同盟とは経済統合の一つの段階であり、締結国は第三国に対して同様の関税政策を採用することが条件である。現在日本で盛んに議論されているFTA(自由貿易協定)は関税同盟よりもワンランク下の概念で、締結国間の関税撤廃までは関税同盟と同様であるが、第三国に対する関税政策は各国の裁量で決定できる点で、関税同盟とは異なる。2001年にケニア、タンザニア、ウガンダにより結成されたEACは2007年にルワンダ、ブルンジを向かえ、2007年にはEUとEPA締結している。)


EACで最大の課題になっているのは、インフラ整備である。モンバサ、ダルエルサラームといった大きな港町があるケニアとタンザニアとは対照的にウガンダ、ルワンダ、ブルンジのは内陸国である。内陸国であるために、輸送コスト分が非関税障壁となっている。ウガンダは肥沃な土地で作物も盛んにちれ大変豊かな国であるが、最大の港までの輸送コスト。また、国境を越えなければならないことでさらに輸送の煩雑さが増している。そこで開かれたのがこの度の会議。タンザニアの交通大臣は、この10年間タンザニアが560kmに渡る道路を敷設し、交通の利便性が上がった事を引き合いに出して、物流インフラの重要性を説いた。現在タンザニア・ダルエスサラームを拠点に、南アフリカダーバンまで延びる大回廊構想が推進され、EACだけでく、COMESASADCといった共同体に加盟する計7カ国にまたがる予定で期待が寄せられている。


Naoya Saito